突発!幕の内カップ2005 「Liar’s
High」代表決定トーナメント
お題
マッチ売りの少女という物話は、これまで悲劇的に捉えられてきたが、もはやその認識は改めざるをえない時代になったようだ。 「将来はマッチ売りになりたい。」と考える若者は後を絶たず、マッチ売りを育成するための専門学校には、入学願書が山のように届き、一流大学以上の狭き門となっているという。 童話の時代には全く売れなかったマッチが現代になって売れるようになった理由を、西東京大学経営学部教授でマッチ売りに詳しい町瓜氏はこう分析する。 「まず一つに、営業力の強化が挙げられます。童話の方を見てください。売ろうという意思がほとんど感じられないではないですか。道端に立って、買い手が来るまでじっと待っているなどセールスレディとして問題外です。ティッシュペーパー配り以下ですよ。」 「そしてもう一つは、マッチ自体に付加価値が付けられたことです。童話の少女がこの商売に失敗したのは、売り物が本当にシンプルなただのマッチだったからです。こんなものに魅力もへったくれもあったものじゃありません。」 氏の指摘を聞くと、古来伝統のマッチの売り方にこそ問題があったということであり、現在の隆盛はむしろ必然だという印象すら受ける。 そしてそれは、ほぼその通りなのであろう。現在ではアンデルセン作の「マッチ売りの少女」は、マッチ売り用のテキストの「失敗例」の項に掲載されているのであり、絵本などは「教育に悪い」として本棚から撤去されている有り様なのである。 (続く) |
以上の文章は管理人がLiar’s
Highにおいて書いたネタです。
個人的にはそこそこの文だと思ってますが、まだまだ改良の余地があると思うのです。
なので、ここはこうしたら良くなるんじゃないかとかそんなんを教えてください。
なんなら、続きとかを書いたりしてくれるとさらに倍率ドンとなっていい感じです。
決勝戦
ソニックウイングス(入団意思無し) VS 布袋屋 VS
健常者 VS キジ VS 品川心中
ソニックウイングスさんの答え
中盤が少しだるだるとしているので、「今のマッチ売りはこうして売っているじゃないですか」とか「最近ではこんなマッチも売れてますし」的なのはどうでしょうか。
ビジネス要素の広がりがあると終盤の「失敗例」とか効いてくるような気がしますし。逆に「今はその昔の売り方が省みられている」といった切り口も面白いかもしれません。
あ、ウソウソ!核さんのが一番ですよ!一番!これが最高形に決まってるじゃないですか!ハハー!
現代マッチ売りの「付加価値」について書く余地は大いにあると思います。
ただ、残念ながらすぐに浮かばなかったんです。
布袋屋さんの答え
また、「マッチ売りの少女」は精神学的にも批判的に考える学者も多い。
証人の一人、平塚大学医学部教授の屋久忠氏はこう語る。
「人間は火、つまりは赤いものを見ることで一種の興奮状態に陥り、大変危険な状態になる。また、火を見て家が見える。これは薬物の禁断症状による幻覚の一種であるとも考えられる。」
医学的に見てあまりよいものともとらわれてはいない。
これを受けて神奈川地裁、江ノ島裁判長は被告アンデルセン側に「出版差し止め」を言い渡した
しかしこの判決を不服とし、被告のアンデルセン側は上告すると霊媒師高野モナミ氏を通じて発言している
「過去のマッチ売り」については清算できる内容です。
あとは「現代マッチ売り論」のほうですね。
健常者さんの答え
マッチ売りの少女という物話は、これまで悲劇的に捉えられてきたが、もはやその認識は改めざるをえない時代になったようだ。
「将来はマッチ売りになりたい。」と考える若者は後を絶たず、マッチ売りを育成するための専門学校には、入学願書が山のように届き、一流大学以上の狭き門となっているという。
童話の時代には全く売れなかったマッチが現代になって売れるようになった理由を、西東京大学経営学部教授でマッチ売りに詳しい町瓜氏はこう分析する。
「まず一つに、営業力の強化が挙げられます。童話の方を見てください。売ろうという意思がほとんど感じられないではないですか。道端に立って、買い手が来るまでじっと待っているなどセールスレディとして問題外です。ティッシュペーパー配り以下ですよ。」
「そしてもう一つは、マッチ自体に付加価値が付けられたことです。童話の少女がこの商売に失敗したのは、売り物が本当にシンプルなただのマッチだったからです。こんなものに魅力もへったくれもあったものじゃありません。」
氏の指摘を聞くと、古来伝統のマッチの売り方にこそ問題があったということであり、現在の隆盛はむしろ必然だという印象すら受ける。
そしてそれは、ほぼその通りなのであろう。現在ではアンデルセン作の「マッチ売りの少女」は、マッチ売り用のテキストの「失敗例」の項に掲載されているのであり、絵本などは「教育に悪い」として本棚から撤去されている有り様なのである。
前置きが長くなってしまったが、ここで本題に入ろう。
ヒョードル、ミルコ
私が“人類最強”という言葉を聞いて思い浮かぶのがこの二人である。
「ヒョードルは良いとしても、なぜミルコが?」と異議を唱える向きも多いだろう。
「ノゲイラの名が挙がらないようでは片手落ちだろう。」と。
しかし、真の意味での人類最強というものをイメージして貰いたい。
とある街のバーで、二人の男がばったりと出くわす。
彼等は示し合わせたかのようにそれぞれファイティングポーズをとり、世紀の一戦が始まる。
一人はボクシングの構えをしているが、中腰で相手の隙を窺っている様にも見える。
・・・恐らく柔術家だ。
もう一人はガードを高く上げ、正面から相手を迎え撃つ実戦的なマーシャルアーツスタイル。
・・・生粋のストライカーだろう。
暫く互いに牽制し合う状況が続くが、勝負は一気に動き始める。
柔術家が“見せ球”のジャブを放った直後、タックルに入ったのだ。
相手の腰に手を廻してがっちりとロックし、足を掛けて“自分のフィールド”に誘い込む。
だがストライカーの腰は予想以上に強い。
寝技に自信が無い分、倒されないための練習を人一倍しているのだろう。
柔術家に押し込まれるまま壁に寄りかかる事で力をセーブしながら、
相手の顎を突き放して体制を整えるストライカー。
そして腰に回された手が緩んだ隙を突いて一気に攻勢に出る。
いくつかいいパンチを当てられバランスを崩す柔術家。
しかし慌てる事無く、打撃に付き合わなくて済むように崩れた体制のまま床に寝転ぶ。
“ガードポジション”によって完璧に相手の打撃を封じたのだ。
相手から眼を離さぬまま息を整える二人。
ここがリングの上なら、膠着状態に入るところだろう。
しかし、勝負は意外な展開で幕を閉じた。
ストライカーがおもむろに椅子を手に取り、柔術家目掛けて躊躇無く振り下ろしたのである。
・・・ゲームオーバーだ。
実戦における格闘では、自ら寝転がるという行為は時に死を意味する。
リングの様に凶器になる物が何も無い状況の方がむしろ稀だからである。
K-1やPRIDEのリングで戦う選手達に本来の戦闘で起こり得るあらゆる要素を投入したなら、
現在の格闘技界のヒエラルキーは間違いなく豹変することだろう。
そして、過去に特殊部隊に身を置き、生死を分ける状況に幾度も遭遇して来たであろう
ミルコの格闘センスは、他のアスリート格闘家とは一線を画すものがあるのだ。
無論、ルールや主催者の思惑に守られたスポーツとしての格闘技では、
必ずしもその方法論が通用するとは限らない。
実際、ミルコはK-1参戦直後からトップ選手として頭角を現すも、
遂にその頂点に上り詰めるという夢を成し得る事は出来なかった。
トーナメントという長丁場の中で彼は、常にホーストなどの試合巧者達に
辛酸を舐めさせられ続けた。
『ワンマッチならどんな奴にでも勝てる。』
本来の自分の実力が分かっているからこそこぼれ出るそんな言葉ですら、
負け犬の遠吠えとなって空しく響く厳しい現実の中で蓄積されるフラストレーション。
そしてある時、彼は一瞬の気の緩みから明らかに格下の選手であるマイケル・マクドナルドに
まさかのKO負けを喫する。
酷く落ち込み、自分の格闘家としての人生に疑問を抱いた後、ミルコは一つの結論を出した。
曖昧な判定とトーナメント制という、真の強さを目指す格闘家にとっては不毛な要素
ばかりが目立つK-1に見切りをつけ、総合格闘技という茨の道を選んだのだ。
折りしもK-1主催者とのゴタゴタの真っ最中。
『ミルコは石井館長に1億円のファイトマネーを要求している。』
そんな話がまことしやかに噂されていた頃の事。
K-1とPRIDEの間を行ったり来たりという煮え切らない立場が暫く続き、
“K-1
vs PRIDE
世紀の激突”と期待されたヴァンダレイ・シウバ戦もルール面で
K-1、PRIDE双方の看板が傷つかないように摺り合わせを行った結果、
釈然としない内容に終わった。
『ミルコは総合の試合は彼専用の特別ルールに守られているだけ。』
『本格的に総合に移ってもトップ選手には通用しない。』
『実力はあるが傲慢さはそれ以上。』
当時の彼に対する評価は概ねこのようなものだったはずだ。
しかしそんな批難を物ともせず、ミルコは着々と総合格闘技への順応性を増し、
一気にPRIDEの花形選手へと変貌を遂げる。
そう、我々が気づいたときには、もう既に激動の格闘技戦国絵巻は
彼が描いたロードマップそのものとなっていたのだ。
――その後、彼は二度の敗北を味わい真の勝負の辛さを知ることとなる。
しかし、もうK-1時代のような心の揺らぎは無かった。
栄光と挫折、積んでは崩しの繰り返し。
それでも彼は諦める事を知らず、前に進み続ける。
一歩一歩、着実に進化を遂げながら自らの正しさを証明し続ける。
そして今日も、彼はリングに上る。
カクテルライトに 照らされて
リングネームも 高らかに
並み居る強豪 薙ぎ倒し
60億の 頂点へ
嗚呼ミルコップ 我が母校
恐ろしい方向に持っていかれてしまいました。
凄すぎてとても僕が論評できる類のものではありませぬ
キジさんの答え
また、現在のマッチにおいては、品質のよさ・匂い・安全性などのさまざまな点に
重点がおかれるようになった。学校の授業での怪我で、現在一位となっているのは、理科の実験の際に使うマッチによるやけどだ。この事実により、マッチは、より安全なものほど、需要が高くなっている。
若者たちの間では、現在「マッチブランド」がひそかにブームになっている。多彩でケースのデザインはライターよりも低コストで入手が可能な上に、懐かしい刑事もののドラマ等のリバイバルヒットも加わり、ワイルドなかっこよさを求める若者が、こぞって購入するようになった。現在では、インターネットオークションなどでは、商品によっては100万円になる商品も出るようになった。企業によっては、女性を主な対象として、アロマテラピーの効果のある、匂い付きのマッチを販売するようになった。
「マッチ売りの少女」で書かれているマッチは、作品の情景からしてわびしいものであったと思われる。企業によっては、さまざまな「おまけ」を付け商品の売上を目指している。しかし、「おまけ」にばかり頼るのも商品の売上にはつながらない。
2034年に、マッチの「おまけ」に多額の資金を費やしたために、赤字経営に陥り、ついには倒産となった会社が、数多くある。その結果、「おまけ」にかかるコストを考えると上で述べたようにマッチの品質の良さを追求する会社が増えていった。
以上です。
感想:もう少し、面白い上に結論っぽいものも書きたかったんですが、思いつかなかったんで内容をそれなりにがんばりました。
ちょっといろいろな方向に話が飛びすぎた感もありますが世界観は十分出ていると思います。
品川心中さんの答え
さらに、教授はこう付け加えた。
「もう一つ、このマッチ売りの少女は決定的なミスを犯しています。知りたいですか?」
我々取材陣に聞いてきた。
「はい。」
「いいでしょう。でもココでは言えませんので、場所を移しましょう。」
そう言って教授は我々を高級中華料理店に連れてきた。
「一番高い料理を私に。他の人たちには・・・水だけでいいや。」
そう店員に注文すると、教授は一人ガツガツ飯を食い出した。
「教授、マッチ売りの少女の決定的ミスとは?」
教授は料理と勝手に追加注文したビールを飲み干しこう答えた。
「決定的ミス・・・それは・・・う、うぐっ!」
すると、突然教授が苦しみ出したのだ!
「大丈夫ですか!?教授!?」
倒れた教授にすぐさま駆け寄る救急隊員。
「危険ですから、離れてください!この人をこれから病院に運びますから!」
倒れて3分で救急隊員が来て、教授を運んで行った。
「それにしても、救急隊員来るの早かったですね。通報したの、誰なんですか?」
「え?君じゃないの?」
我々、取材陣の誰一人通報していないのだ。
翌日、その教授の顔写真が「集団食い逃げ常習犯」として新聞に載っていたのだった。
そう、我々は騙されたのだ!食い逃げされたのだ!
でも、取材費で落ちるからいいや。
前フリ長かったなぁ〜、この小噺。
報道各社も不景気の真っ只中なので、取材陣は自腹でお願いします。
というわけで全員優勝!
Liar’s High代表仮オーダー(大将以外五十音順)
役職 | お名前 |
先鋒 | キジ |
次鋒 | 健常者 |
中堅 | 品川心中 |
副将 | 布袋屋 |
大将 | 核 |
よろしくおねがいしま〜す。
延長戦
金吾庄左ェ門さんの答え
幕末の四賢候の一人、宇和島藩主・伊達宗城。彼の業績を知る人は多くいても、彼が日本最初のマッチ売りであることを知る人は少ない。
嘉永二年(1849)、まだヨーロッパで発明されて間もないマッチが燐寸として日本にもたらされた。世界的にもまだ貴重品であったマッチの重要性を見抜いた宗城は、江戸城大広間において諸大名に「これが燐寸(マッチ)でござる。これを擦るだけで、火がぱっと発しまする」と説いてまわったが、売るというよりは、その利便性・重要性の説明に重きを置いており、マッチ売りとしては失格と言える。
マッチ売りは失敗だったものの、明治政府の要職に就いた宗城は、マッチの振興に力を注ぎ明治天皇の信任を得た。同時期にマッチ売りで財を成した商人前原巧山は元宇和島藩士である。
これらの話は、戦前・戦後〜現在に至るまで教科書に載っていない。しかしカリスママッチ売りの一割が宇和島出身という現実を見て、宗城のマッチのよる庶民生活の向上という志を感じずにはいられない。
お題とは全然違うところで答えてますが
「マッチ売りを題材とした嘘作品」としては十分だと思います。
ゲル状さんの答え
町瓜氏→近藤真彦
貴方は上の文章を何度でもじっくり読み直してみるといいです。
めざしさんの答え
続きを書く気はさらさら無いが改善策というか思いついたことを書き逃げします。
「西東京大学経営学部教授でマッチ売りに詳しい町瓜氏はこう分析する。」←この部分を「町瓜氏は絵本を片手に声を荒げてこう言った−」とか足してみたり。
あとはソニックウイングスさんと同じなんですけど、俺の場合は町瓜氏が実際に試作したオリジナルの魅力的なマッチを紹介(大量に)して一旦終わると見せかけて、「後日町瓜氏の研究室が大爆発したということです」・・・なんてオチどうですかね。
今の終わり方はちょっと悲しめかなと思ったもんで。
大爆発オチをリアリズムで描くって難しいんですよ。あんまり唐突だとファンタジーになってしまうので。
土佐丸さんの答え
(続く)
一方マッチの営業面での発達と比例して、マッチ自体の性質や機能を探求していく『マッチ学』の分野も最近若者の人気を集めている。
こちらの分野では営業とは相反して、童話『マッチ売りの少女』を「マッチ学の革命的資料」として高く評価する立場を取っている。
西京都大学小物学部マッチ科教授の街浦氏はこう語る。
「マッチ売りの少女でもっとも印象に残るシーンは、弱り果てた少女の見た『幻想』の場面です。あのシーンはマッチの持つ潜在的性質を大幅に広げた革命的サンプルであり、かの有名な幻想学の祖、B・マチウルの『マッチ幻想論』を生んだキッカケとなったものです。幻想学に関する現在の研究では、肉や暖炉の他に、山、草原、町、車、飛行機、ドーム、ホテル、思い出の空き地、の幻想の観測例があり、砂漠地帯ではマッチと相反すると思われる「氷山」の幻想の0.05秒間の観測実験に成功しています。このことから、おそらくマッチによって、人間の想像しうる全ての事象の幻想が観測可能であると思われ、その応用は極めて多様であると考えられます。しかし問題点として、童話にも見られるように幻想には観測者の著しい生命力の低下を伴う為、実用化にはまだ程遠い。今後は「どれだけ命を燃やさずに鮮明かつ長時間の幻想が見られるか」という部分が研究の課題となっていくだろう。まあ完成しても私は経営部門に頼るつもりはさらさら無いが。」
「幻想」を踏まえたマッチ売りの構想について再び町瓜氏に話を伺った。
「確かに『幻想』の要素が実用化されると、先ほど話した『マッチの付加価値』の面について飛躍的な発展を遂げる事ができ、売り上げも増大すると思われます。しかしあの童話では少女は幻想を見る事で命を落としています。また、例の幻想学の実験で観測者に死者が出た、という噂も伺っております。個人的に生命を犠牲にしてまで夢を追う、という幻想学側の理念にはとても賛成できません。またそういう考えが、現実を無視して幻想に生きる若者を増やし、苦しい生より幻想世界での死を、といった宗教的発展にも繋がりかねない。マッチはあくまで物を燃やす道具です。そんな生死を左右するような重いものであってはいけない。私は死者を出してまで幻想を追い求める人間の気が知れない。」
これに対し、街浦氏は、
「観測者に死者が出た、という点ですが、これは全くの虚偽です。デタラメもはなはだしい。実際砂漠での最も過酷な状況で「氷山」の幻想を見た観測者は、今も私の研究室に元気でおります。経営側は個人的な感情で物を言っているようにしか思えない。学者の風上にも置けません。それに夢を追うことは大局的に見ると、命を削っていることになるのです。死は誰もがいつか訪れるもの。その間に必死で夢を追って生きればいい。それを否定する事は真面目に生きていない証拠。そのような不真面目な人間に何も言われたくありません。それとも私への憧れから来る発言なのでしょうか。高校で理系に入り損ねた人間の。」
再び町瓜氏。
「加減を知らない人間はこれだから困る。命を削るにも『限度』がある。何事にも限度というものがあり、そういったバランスを保つ事で物事はうまく運ぶのだ。そうやって周りが全く見えていないから西東京大学に落ちて、西京都にしか行けなかったんだ。しかも最低成績で。」
街浦氏。
「最低成績なんて勝手に決めるな。お前は大嘘付きだ。いつだってそうだ。あの時もそうだった。中学1年の自己紹介の時、お前は小学校で『チョーさん』って呼ばれてた癖に、『マッチ』って呼ばれてました、って言ったろ。そのせいでお前が俺の憧れていた『マッチ』の座を奪い去ったんだ。お前なんかのどこがマッチだ。」
町瓜氏。
「五月蝿い。そのおかげでてめえは『トシちゃん』って呼ばれてただろうが。ただその時アフロだったってだけで。こんな誤算があるか。俺はトシちゃん派だったのに。」
街浦。
「ともかくお前がいる限り、俺の大発明は絶対経営分野に教えてやんねー。タコ。」
町瓜。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すよ。ウスラバカ。」
マッチ売りの少女という物話から、マッチの今について述べてきたつもりだが、マッチの未来には埋めなければならない深刻な溝があるようだ。
両氏にまつわる過去の些細なすれ違いから始まった深い溝。
そして『マッチ売りの少女』はこの二人に運命の分岐点を与えた。
今後果たして二人の共通点である『マッチ』は、マッチ界を背負う二人の学者を繋ぐ架け橋となりうるのか、はたまた燃え落ちてしまうのか。
その答えは少女にも分からない。
街浦氏の最初の長ゼリフには感動すらおぼえます。落とし込みも素晴らしいです。
というわけで全員優勝!